生きることには「苦しみ」が伴う。
苦しみには「原因」がある。
苦しみは「取り除く」ことができる。
苦しみを取り除く「方法」がある。
2500年前に開発された仏教の知恵を使って、心の中で蜘蛛の巣のようになっている悩みから解放できるようになろうではないか。
悩みのない人はあまりいないと思う。
心に悩みを抱えている多くの人に読んでもらいたい本。
仏教からの良い文章が引用されている。
『道を生きる者よ、生きることは苦しみなのだ。 老いること、病にかかること、死は、苦しみである。 厭わしい者と出会うこと、愛する人と別れなければならないことも、苦しみである。 求めるものを得られないこと、ままならない人間の心もまた、苦しみである。』
『苦しみが何ゆえに起こるのかを、理解するがよい。 苦しみをもたらしているものは、快(喜び)を求めてやまない「求める心」なのだ。』
『「求める心」が、満たされなさの繰り返しを作っている。 様々な欲求が、この身を突き動かしている。 人間は越えがたい欲求の汚泥に埋まっている。』
『人は苦しみの正体について、正しく理解すべきである。 苦しみの原因を断つべきである。 苦しみのない境地にたどり着くべきである。 その方法こそを実践すべきである。』
『人は「求める心」によって、苦悩を見る。 ゆえに汝は、「求める心」を、正しい道に立つことで手放せ。 そして再び「求める心」に囚われて、苦しみの人生に舞い戻らないようにせよ。』
『人は三つの執着によって苦しむ。 ①求めるものを得たいという執着(だがかなわない) ②手にしたものがいつまでも続くようにという執着(やがて必ず失われる) ③苦痛となっている物事をなくしたいという執着(だが思い通りにはなくならない)』
『財産や容姿は不変の宝ではない。求めるものは得られぬことが多い。』
『正しく理解する者は「自分が正しい」と思うことがない。 だから苦しみを生み出す「執着の巣窟」に引き込まれることはない。』
『あの人は 私を罵った、私を否定した、私に勝利した、私は奪われた、 と思い続ける人は怨みが止むことはない。』
『この世界は、闘いと、言い争いと、心配事と、悲しみと、物惜しみと、「私がいるぞ」という慢心と、傲慢と、誹謗中傷にとりつかれている。 やがて必ず喪失にたどり着くさまを見て、私は空しくなった。』
生きとし生けるものが、心の平安を得られますように。