ミダス王はある日、シレーノスという神様を助ける。
助けてもらったお礼にシレーノスは「お前の望みを一つかなえよう。この世で最も良いことだと考えるものを選ぶがいい!」と言う。
ミダス王はこう考えた「人間にとって最も良いものは富である」。
そして、手に触れるもの全てを黄金に変える力を望んだ。
小枝を折って取れば黄金に変わった。土に触れると黄金になった。リンゴすらも手にすれば黄金となった。
喜んだミダス王は豪華な食事を用意するように命令した。
しかし、その喜びもつかの間。
パンを食べようとすれば、パンは硬い黄金に変わった。ワインを飲もうとすれば溶けた黄金が口の中に流れ込んできた。
そして最愛の娘に触れると、娘は黄金の彫像となってしまった・・・。
私たちもみんなミダス王と同じような呪いを受けているのではないだろうか?
触れたものは黄金に変わらないけれど、触れるものだけでなく視界に入ったものすら何でも「お金」に換算してしまう。
物だけでない。
大地、森、きれいな水、ガソリン。地球から奪っている自然にも値段をつけてしまっている。
さらに、人が着ている服、身につけている時計、乗っている車。それらを見ただけで自動的に「お金」に換算してないだろうか?
友人や家族、自分の生命すらも「お金」という無生物に変えているのでは?
そして「どれだけお金があるか?」で人を判断しているのではないだろうか。
金銭欲には限度がない。
10万円が手に入れば100万欲しくなる。100万円が手に入れば次は1000万円を渇望する。そして1000万円が手に入った時に、周りの人間が3000万円を持っていると「自分には価値がない」と言うようになる。
過剰な金銭欲、物欲、地位競争。
そこにお金のためなら何でもするようになってしまう堕落、地位のためならお互いをだまし合うという社会の危険がひそむ。
今の資本主義には金銭欲、物欲、地位欲に歯止めをかける仕組みがない。
私たちは、いつまでお互い争い合うのか?
そして、どれだけ手に入れれば気がすむのであろうか・・・。